思い出の“にわとり”と“犬”

   ふとしたことから、思いがけない過去が蘇ることがある。暮れの整理をしていたら偶然、

息子が小学生だった頃書いた詩が出てきた。もはや正確には何時のものなのか定かではない。

紙はすでに黄ばんでいる。



― にわとり ―

あげたにわとり、

大きいので、いじめられる心配はない。

ある日、

他の仲間のいる所へあげた。

うちでもいばっていて、

新しく行ったところでも、

いばっているようだ。

一体、どういう気持ちでいるのだろう。

もう一度会いたい。

今どうしているのだろう。



 読み終えて万感胸に迫った。開院する前、少し遠いところに住んでいた。

ある時、息子はにわとりの雄の雛を買ってきた。動物好きな彼は一生懸命育てた。

学校から帰って来ると、息子はいつもにわとりと一緒だった。息子と私で作った

粗末なにわとり小屋の中に入り、まるで息子もにわとりになったかのように

蠢いていた情景をつい昨日のことのように思い起こす。



 にわとりはすくすくと育った。そして、びっくりするほど知的で、息子といつも

会話をしているようにも見えた。

 開院する際、私の友人が医院内ににわとり小屋を持っていて、幸運にも引き取ってくれた。

別れは、寂しかった。息子の心中を思うと、私までも胸が痛んだ。その後、にわとりが

元気だと友人から聞いた話をした時、恐らく息子はこの詩を書いたのだろう。

 息子のにわとりは、新天地でもいばってボスになったらしい。人好きなため患者さんにも

随分愛されたと聞いた。



 しかしある時、犬に襲われ、他のにわとりたちのために率先して戦って死んだと知った。

まるで武勇伝を語るような友人の話に、心の中で慟哭した。仕方がないこととはいえ、私は

息子の親友を引き裂いたのだ。

 遠い日の記憶であるが、息子の幼い字を追いながら、走馬灯のように湧き起こる情景を、

私は哀しく、いとおしく思い出した。



 “にわとり”の詩の裏には、次のような詩が書かれていた。





 ―犬の鼻先―

犬の鼻先は、

黒くぬれている。

それにつられて

鼻の周りも黒い。

健康の印だ。

うちの犬もそうだ。

鼻先もぬれてて、

周りも黒い。

名前と同じく、

「元気」だ。



 にわとりは友人にお願いしたが、生後まもなくから育てた柴犬、「元気」は一緒に

連れてきた。息子はやはりとても大切にした。やさしく育てていると、にわとりも犬も

人間の気持ちが分かり、利口になることを息子から教えてもらった。無駄吠えもなく、

かわいい、賢い犬だった。

 ある日、いつものように散歩中ロープを外した途端、雷雨になった。驚いた「元気」は

突然飛び出した。そしてあろうことか、「元気」は車にはねられて即死したのだ!息子が

初めて直接経験した死である。その悲しみは息子の大粒の涙で推し量られた。とても、

言葉には言い表せないほど寂しい別れだった・・・・。



 偶然見つけた詩から、息子、そして私たちも愛した“にわとり”と“犬”がまるで目の前に

いるかのように思えた。

 平成十三年春、息子夫婦は男の子を授かった。彼は、自分の子供をとても大切にするに違いない。

  (医科芸術、2月号、2002年)