錦小路家本『異本病草紙』について−その5

フィラリア症

服部 瑛(はっとり皮膚科医院)

今回はフィラリア症について述べる。すでに日本では見られない病気の一つである。しかし昔は日本でも実在し、多くの患者を苦しめた。

12世紀に描かれた異本病草紙にフィラリア症によると思われる絵図をみつけることができる。図1,2がそれである。図1は象皮病、図2は陰嚢水腫と思われる。




 以前図1を「象皮病で両下肢が腫脹した女」と題して、以下のような解釈を記載した。

「全身をはだけた貴族の女の両下肢が、醜く腫れ上がっている。難儀な様子を、傍らの女たちに話している仕種である。しかし如何ともしがたい状況であろう。

 象皮病であろうか。フィラリアの寄生によるリンパ浮腫のため皮膚が象の皮膚のように厚く盛り上がってくる病気である。

 あるいは腹水もあるようであるから、重症な静脈瘤による皮膚の変化かもしれない。」1)

この見解はおおむね正しいと思っている。鑑別疾患としては、文中にある静脈瘤(varix)、および静脈瘤症候群(varikoser Symptomenkomplex)が挙げられるが、併発しやすい皮膚潰瘍などは記載されていないことから、象皮病で妥当と思われる。

ちなみに、静脈瘤症候群・下腿潰瘍は白人にきわめて多く、特に太った老婦人に多くみられる。欧州の皮膚科は150−300床を有するが、その1/4-1/5近くが、下腿潰瘍の患者であることもまれではない、と記されている2)

 図2は、「陰嚢が腫大した男」と題して、
「前をはだけた下帯のない男の陰嚢は、みごとに腫れ上がっている。太った上半身に比して、下肢は痩せている。傍らの男女は、それを見て笑いながら話題にしているようである。

 腫大した陰嚢はいわゆる陰嚢水腫と思われる。

 場合によっては、ヘルニアかもしれない」と解釈した3)

その後いくつかの書物を調べて図2は典型的なフィラリア症の症状の一つであると確信するに至った。遠い昔日本でもフィラリア症が存在し、多くの人たちを悩ませていたことを示す貴重な絵図と思われる。

横浜美術館で偶然に、有名な画家 下村観山の作品「辻説法」の中に象皮病を描いた女性を見つけることができた(図3)。当時、私たちが想像するよりもフィラリア症は蔓延していたのかもしれない。発症地域は南方に多く、特に九州・沖縄に多数の患者を確認できたという4)





 かの名高い西郷隆盛は陰嚢水腫を病んでいた。西南戦争に敗れ鹿児島城山で自刃したが、首のない屍体検視にあたり陰嚢水腫の存在から西郷隆盛本人と判定されたことは有名な話である4)

葛飾北斎は、文化9年関西に旅していた時、三島にて陰嚢水腫を見世物にしている二人の男を見つけてその有様を描いている(図4)。北斎の絵図を見て、誇大に描いた絵図だと思っていたが、尾辻義人先生(鹿児島大名誉教授)の書物4)から、ほほ同じ大きさと思われる陰嚢水腫があることを知った(図5)。

 


原文のまま掲載する。

[症例]44歳 男性

現病歴

14歳頃より12回くさふるい(フィラリア性熱発作)

17歳頃より陰茎が大きくなり出して、34歳頃には膝位までになった。

34歳の時フィラリア検診でMf陽性といわれ、スパトニンを服薬した。

陰茎長は恥骨上縁から58.0cm

    陰茎囲は  76.8cm

    冠状溝周  43.5cm

    亀頭周   50.5cm

であったという。

これを見ると、北斎の絵図は誇張ではなく実際そのほどの大きさの陰嚢水腫だったであろうことがわかる。このことは現代人にとって想像を絶する事実であるが、歴史を検証する際には、現在の立場からの類推は戒めなければならない。時代、時代ごとに現在とは全く異なる事柄が存在するのであろう。そこに思いを馳せると歴史はまさに生き物となって、私をますます魅了する。

これらの病気は、バンクロフト糸状虫をネッタイイエカ(アカイエカを含む)が媒介して感染する。成虫は膝のリンパ節に好んで寄生し、下肢のリンパ液の流入を不可能にするため、長い間には象皮病症状を呈するとされる。さらにバンクロフト糸状虫は、ヒトの鼠径部や精索のリンパ管にも好んで寄生する。その結果、リンパ管が閉塞しリンパ液の鬱滞が起こり、リンパ管瘤を生じてくる。やがてそのリンパ管瘤は破れてリンパ液が流出し、陰嚢にたまって陰嚢水腫となる、と記載されている5)

1912年、陸軍省で調べた結果では、北海道を除く青森県以南の日本各地にかなりの数の患者が見出されている。その後生活様式の変化や薬物療法などにより1978年、奄美大島の感染を最後に、日本からフィラリア症は完全に消滅した(図6)5)





そのためか、すでに皮膚科教科書には象皮病という病名は省かれていることが多い。全書である「現代皮膚科学大系」(19831990年)や「最新皮膚科学大系」(20042005年)にも見つけることができなかった。しかしフィラリア症は、アフリカ、東南アジア、中南米各地になお9000万の患者が存在することが知られている5)。日本ではみられなくなった疾患であっても、せめて皮膚科教科書には典型例とともに病因などを簡潔でもよいから残しておくべきであろう。

異本病草紙は、私に新しい興味また与えてくれたのである。

文献

1)服部 瑛,荻野篤彦:群馬県医師会報,617:366,1999

2)上野賢一:皮膚科学(第7版),金芳堂,

  京都,p1952002

3)服部 瑛,荻野篤彦:群馬県医師会報

  619:32,2000

4)尾辻義人:愚直の一念,斯文堂,1994

5)藤田紘一郎:疫病の時代,大修館書店,

  東京,p2021999



図1 象皮病で両下肢が膨張した女性
原図を元に着色したもの

図2 陰嚢が腫大した男性
原図を元に着色したもの

図3 下村観山 「辻説法」 (1892)
象皮病の女性が描かれている(絵右下の太った女性の左下肢)

図4 葛飾北斎の絵
陰嚢水腫の患者を描いた

図5 巨大な陰嚢水腫の臨床

図6 鹿児島県のミクロフィラリア保有者陽性率の年次変化
1978年、フィラリア感染は日本から消失した。

−Visual Dermatology2月号より−