5月27日付の朝日新聞日曜版「旅のことわざ」を読んでいたとき、
【護摩の灰】という言葉が目にとまった。この4文字は何故か頭の中で
渦を巻くように鳴り響いた。「あら、【胡麻の蝿】のことじゃないの、
新聞なのに誤植かもしれない」と思い、百科事典を調べた。私の記憶とは
相違して【護摩の灰】の方が正式らしく説明文の最後に「胡麻の蝿ともいう」
と書き添えられていた。
【護摩の灰】という活字を目にして【胡麻の蝿】を連想し、さらに
ずっと忘れていた子供の頃の友人の名前を思いだした。小学校へ入学して
間もなく、「たがつねこさん」という友達ができた。彼女も私も病弱で、
本が好きで、一人っ子という共通点があったためか仲良しだった。
毎日のようにお互いの家に行ったり来たりして相手が持っている本を読ませて
もらった。童話集や繪物語りなど手当たり次第に読んでいたが、取り分け彼女は
私の『フクちゃん(漫画)』がお気に入りだったし、私は彼女の
『まるかくちょんすけさん(繪物語り)』が好きで何度も繰り返し読んでいた。
あの頃はただ本を読んでいるだけで楽しく二人とも充分満足していた。
『まるかくちょんすけさん』は十返舎一九の東海道中膝栗毛を子供版に
直したような、ずっこけ2人組が冒険や困難を頓知で切り抜けながら旅を続ける
筋書きだったと記憶する。その中で、ちょんすけさんが「あっ【胡麻の蝿】にやられた、
胴巻きのお金がない!」と大騒ぎをするくだりが出てきた。私はそこで始めて
【胡麻の蝿】という言葉を覚え、旅人から財布を盗むスリを指す言葉だと知った。
旅行中に食べる胡麻のついたおにぎりにたかった蝿が素早く飛び去る様子を、
スリが他人の金品を盗んで一目散に逃げ出すさまに例えて【胡麻の蝿】と呼ぶのだと
勝手に解釈していた。勿論、当時も今も古典落語や時代劇、捕物帖などの中でしか
使わない言葉なのでその日、朝日新聞を読むまで本のことも「たがつねこさん」のことも
すっかり忘れていた。
彼女とは多分1−2年のあいだ互いに行ったり来たりを繰り返していただろうか。
その内戦争が激しくなり、東京(大森に住んでいた)にも警戒警報・空襲警報のサイレンが
鳴り響くようになってきた。学校へ行ったと思うと警報が鳴り、すぐにそのまま家へ引き返し
たり、防空壕へかけ込む日が増えてきた。街では疎開という言葉が口にされるようになり、
縁故疎開・学童疎開が始まった。私は学童疎開には参加せず、両親の出身地で私の生まれ故郷
でもある京都へ疎開した。小学校4年の時である。もうその頃、街は混乱状態になっていて、
「たがつねこさん」といつ頃別れたのか、彼女がどこへ疎開したのか知るすべもなく、時が過ぎた。
【護摩の灰】という4文字は唐突に「たがつねこさん」と「まるかくちょんすけさん」を私に思い
ださせた。つねこさんお元気かしら。