痒い!
毎週一回朝日新聞の朝刊第一面に歌人の大岡信氏の「折々のうた」
というコラムが掲載されている。氏が選ばれた短歌あるいは俳句を紹介した上で、
10行ほどのコメントをつけれらたものだ。コメントが面白いのでいつも興味深く読ませて
いただいていた。今冬の始めのころ、新聞を広げてコラムに目を向けたとき、
真っ先に眼に焼きつけられたのが《痒》という文字だった。
<老人になると体が痒くなる聞いたときからかゆくてならぬ>
諏訪部 仁
『エトランゼ』 (平12)所収
とにかく句の中で使われている《痒くなる》という言葉に驚かされたのだった。
皮膚科医になって30年以上たつ私は診療をしている限り《痒い》という文字を
読んだり、聞いたりしない日は無いといっても過言では無い。なんと言っても
皮膚科で扱う病気は《痛い》ものより《痒い》ものの方が圧倒的に多いから
である。半数以上の患者さんは外来へ診察に来られると「○○が痒い」と訴えら
れるのだから外来診療中数えきれないくらい《痒い》という言葉を聞いて暮らし
ているし、皮膚科関係の書籍/雑誌に目を通していても《痒》の文字が出て来な
いことは無い。このように30年以上も《痒い》という言葉と一緒に暮らしてい
れば、頭の中は《痒》だらけで無数の《痒》という字が刻み込まれているに違い
無い。そんな訳で《痒い》という字を敏感にキャッチしてしまったのだと思う。
なるほど、冬はとりわけ「老人性皮膚そう痒症」、「皮脂欠乏性湿疹」、「老
人性乾皮症」などがお年寄りに起こりやすい。そこでこの歌も生まれたのだろう。
大岡氏はこの句を読んで思わず巻末の作者経歴をのぞいてしまったと書かれて
いる。「作者は昭和15年生まれで歌集刊行時点でちょうど60歳。本当にこの
ような体になっている人は、こういう歌を作ろうとは思わないかもしれぬ。」と
コメントされていた。
また、作者が「聞いただけで痒くなった」のは間もなく老年期に突入する、そう
すれば痒いのは免れられない、誰しも年令は重ねていくのもで避けることはでき
ない、一種の諦めとも感じられる。中学・高校時代に国語で習った短歌や俳句は
どれも花鳥風月を題材にしたものや恋の歌が主流を占めていたように記憶する。
しかし、近頃はそれらのテーマ以上に日常生活や政治的問題あるいはこのように
個人的な病気までが題材として広く取り扱われるようになってきたことに興味をそそ
られる。皮膚病が短歌の世界で市民権を獲得するとは全く考えてもいなかった。