普通、メモ帳にはとりあえず予定とか会議の時言われたことを忘れないように書き
留めておくことを目的に使うものと相場が決まっている。ところが、私のメモ帳はちょっ
と変わっていて殆どのページは漢字の羅列や図案で埋められているのだ。恥ずかしい
が実を言うと、あまり重要でない会議の時など、飽きてくるとついつい悪戯書きをして
しまう癖があるのだ。「こざとへん」の付く字ばかり集まっていたり、「ウかんむり」だの
「のぎへん」だのの漢字が書き込まれたページがいつまでも続いている。左右の席に
座っている人からは見えるかも知れないが、遠くから見ている人にはいかにも熱心に
メモを取っているように見えるはずだ。そう考えていつも漢字書きに励んでいた。
部首別に漢字を集める作業?を始めたのは遠く小学校5、6年生の頃までさかの
ぼる。当時は、戦争直後の食べ物も無い時代で、今時の子供達が熱中するテレビゲ
ームなどあるはずもなく、自分たちで遊びを考えたものだった。仲の良い友達との遊び
は、知っている限りの歌を片っ端から歌ったり、あやとりをしたりしていた。ある日、ど
ちらともなくどれだけ漢字を知っているかくらべっこをしようということになり、始めたの
が部首別の『知っている漢字集め』だった。文字の「かんむり」や「へん」を決めて幾つ
書けるかを競い合った。この遊びを大人になってから思い出していつのまにか退屈し
のぎに再び始めるようにになったのがいまだに続いている次第である。たまには有り
もしない漢字を作り出してしまうこともあるが。
昨年、毎日新聞を読んでいたら、ピーター・フランクルさんの文章が目に付いた。
たしかタイトルは『繙く(ひもとく)』で文字についてのエッセイ風のものだったように記
憶する。ピーター・フランクルさんの名前をご存知の方も多いと思うが、本来は数学者
であるが、同じにジャグリングの名手でしかも語学の達人という素晴らしい人なのであ
る。彼はその文中で漢和事典を開いてみるのが面白く、とくに慣用句と四字熟語に魅
力を感じるとのことだった。
いくら語学の達人とはいえハンガリー人の彼から見たら母国語意外の言葉でしか
も日常頻繁に使われている言葉・文字でないものが見出に使われていたのだ。私も長
年、文字遊びをしてきたが今まで「いとへん」集めで『繙く』の文字を書いたことはな
かった。第一、読めてもなかなか書けない難しい言葉なのだ。ああ、私も人の目を盗
んでもっと文字集めに精進しなくてはいけない。まさに、ピーター・フランクルさんに脱
帽である。