10年あまり前、夫は突然「俺は蕎麦をうってみることにした」と宣言し、
蕎麦打ちの指南書やこね鉢、蕎麦切り包丁などを買い整えてきた。とりあえず
身近にある道具で挑戦する私とは違って、夫は何事もまず【文献】を漁り、
材料・道具を集めてから着手することが多い。ある日曜日、そば粉○○グラムに
対して小麦粉○○グラム、水○○mlとまるで実験でもするかのように材料・
道具を揃えて始まった。そば粉に加える水をメスシリンダーで計っているのを
目にして私はつい言ってしまった。「粉なんかその日の湿度によって含まれて
いる水分量が違うからメスシリンダーで計るなんて馬鹿げているわ」。しかし
夫は「本には○○mlと書いてある」と譲らない。実験の追試をしているかの
ように蕎麦入門書に書いてあるとおり、○分間こねて伸ばして切って、○分間
茹でる作業に没頭していた。何故か彼は蕎麦を打って茹でるだけ、つゆや薬味の
準備は私の仕事として割り当てられた。ストップウオッチ片手にできあがった
蕎麦はうつわに盛られて出来上がった。「蕎麦を食する作法はまず3、4筋を
箸でとり、下方の一部をつゆに浸して啜り、まず香りを、次いで喉を通るときの
食感を楽しむそうだ」と食べ方まで指導された。いよいよ美味しいお蕎麦を食べ
させてもらえるのだと期待を込めて箸でつまみ上げようとしたのだが、どれも
これも2、3cm程度にしかつながっていないので啜り込むどころではない。
彼に感謝しながら、しばらくは一生懸命箸で食べる努力をしたがどうにも短くて
摘めない。とうとうじれったくなった私は「申し訳ないけど、スプーンで食べるわ」
と言ってしまった。生まれて始めてスプーンでお蕎麦を食べたが、香りだけは
本格的だった。その後3、4回スプーンの出番があったが、徐々に5センチ、
10センチとつながるようになり半年ほど経ってからは十分に長いお蕎麦にあり
つけるようになった。時には【きしめん】風の薄くて幅の広いものだったり、
いかにも手打ち風に太さの一定しないもののこともあった。彼の腕は回を重ねるに
従って着実に上達し、今では人前にだしても恥ずかしくない外見と味になった。
メスシリンダーはとっくにどこかへしまい込まれ、茹で時間測定用のストップ
ウオッチだけが活躍中である。腕前もすっかり安定し、何時注文しても美味しい
お蕎麦が食べられるこの頃で、スプーンは笑い話になってしまった。残念ながら
蕎麦の完成度に比べると私の守備範囲であるつゆ作りは未だ完成とは言えない
段階に留まっている。蕎麦は音を立てて啜るものだそうだが、そうも抵抗を感じて
ついもぐもぐと食べてしまう。「我が家蕎麦打ち」に言わせると正式の作法に
反しているそうだ。