戦争はやめて
イラク・アメリカ戦争が始まって2週間が過ぎてしまった。
国連安保理での決議も無いままアメリカが勝手に始めたとしか
思えない。民主主義を提唱するアメリカがなぜこれほど戦争に
こだわなければならなかったのだろう。多くの民間人を巻き込んで
まで戦いを一方的に仕掛けなければならなかったのだろう、兵士は
別としても、映像で見る限り死んだり傷ついた人の多くは子供や女性
である。歴史や小説でお馴染みのバビロン、バグダッド、チグリス/
ユーフラテスなどの名が一つの戦場としてアナウンサーの口から
伝えられ、紙上では破壊され、血で洗われているさまを見ると言い様
のない悲しみに襲われる。戦争が始まったものの、未だに隠しもった
とされる大量破壊兵器は発見されないし、なんの証拠もないまま時が
過ぎ破壊が続く。アメリカは「衝撃と恐怖作戦」とされるこの戦争では
非人道的とさえ言われるクラスター爆弾を用い、放射能汚染が気遣わ
れる劣化ラウン弾まで投入していると伝えられている。
それにしても何故日本はアメリカの戦争を支持することにしてしまったのか。
先の戦争で日本はアメリカに敗れ、憲法で戦争を放棄し、防衛の大半をアメリカに
依存している状態にあるとは言え異を唱えることはできなかったのか。日本人は
過去のあの戦争によって、限り無く多くの人が命を落とし、残された人は悲惨な
生活を耐え忍ばなければならなかった。だからこそ声を大にして戦争反対が
唱えられるのではないだろうか。このような過去の経験を踏まえ、小泉首相には
「戦争は絶対に避けるべきだ」とブッシュ大統領を諌めてもらいたかったし、改めて
世界中に戦争のもたらす悲惨な結果をアピールすべきではなかったのか。
プロ野球はあまり好きでは無いのだが、今年ばかりは開幕が待ち遠しかった。
少なくとも野球放送中は戦争のニュースはお預けになるからだ。今朝のテレビニュース
ではまたイラクの夜空を焦がす炎があがっていた。それを見て、50数年前、東京
大空襲の頃の生活を思い出した。当時小学4年生で大森に住んでいた。始めは
警報がなると玄関前の浅い防空壕へ祖母や母と入っていたが、日を追うごとに
爆撃は強烈になり近所の方々と少し離れたところの横穴式壕まで走っていくように
なった。ある夜、警戒警報がなったので防空壕へ行く前にトイレに飛び込んだら、
遠く暗い夜空にまるで花火のように沢山の焼夷弾が落ちてくるのを見た。魅せら
れたように見入り逃げるこも忘れていた。それから間もなく両親の郷里京都へ疎開
した。終戦の年のことである。
ああ、一日でも早く戦争が終わり、逃げまどい身も心も傷ついたイラクの子供達に
平和な日々が訪れますように。