台所の棚の片隅に20粒あまりの虎豆がひっそりと出番を待っている。
その豆は秋に野尻湖へ行った時、畑で仕事をしていた農家の人に
頂いたものの残りである。我が家では野尻湖へ出かけた時は殆ど毎日
1回は散歩あるいはトレッキングまがいのことをして過ごす。対岸の
湖畔では、いわゆる観光地の定義通りに遊覧船が出入りし、ボートを
こぐ人、岸辺で釣りをする人たちで賑わっているが、定宿にしている
ホテルは反対側の岸辺にあり、生い茂る木々に囲まれたひっそりした
ところにある。湖畔の周遊道路からも離れ、そばには観光施設も
無い全くの一軒家なので、まるで別世界のような雰囲気を醸し出している。
車で出かけて行かない限り人のにぎわいとは無縁に過ごせる。従って、
ゆっくりくつろぐ、読書をする、散歩をする、食べる、以外にすることが
ない。外の空気を吸いたいときはもっぱら散歩やトレッキングをして
過ごすことにしている。
今秋行ったときも里の方へおりていって畑の中の道を目標無く歩いて
いた。夏は赤いトマトが重そうに枝をしならせ、ブルーベリー畑を
トンボなどが飛んでいたが、秋になると家々の庭先にコスモスが咲き
みだれ風にゆれている。歩いていると、『奥さん、これ持っていきなよ』
といきなり声をかけられた。やや枯れかけた大きな莢いんげんのような
ものを摘み取っている人だった。『これ、ご飯と一緒に炊くと旨いんだよ』
と3-40本あまりを両手に持って差し出している。『まあ、済みません。
遠慮無く頂きます。』と礼をいい、『何という豆ですか』と尋ねようと
思ったとき、既にその人は豆の刈り取りに戻っていた。莢から大型の
楕円形の豆の姿が浮き上がって見え、一部の莢は既に茶色に乾いてかさ
かさと軽い音を立てた。思いがけなく珍しいおみやげを頂き嬉しかった。
帰りの荷物の中にそっとしまって大事に自宅へ持って帰った。
帰宅した晩の夕食に早速入れることにした。莢から出した豆は
ほんのり薄茶色の斑の入った豆だった。薄い塩味をつけた豆ご飯はほんのり
甘く、ほくほくしていてとても美味だったが残念なことに見ても味わっても
豆の名前は分からなかった。1回の豆ご飯には少し多すぎたので残して
乾かしておいた。日が経ち、豆は乾くに連れて薄茶色の斑は次第に濃く
なっていった。この模様からすると「虎豆」だったのだ。そういえば夏に
道路沿いに出ている農協婦人部の無人売店にも乾燥した虎豆の袋が並んでいて
私も買っていた。収穫したばかりで乾燥していない豆の斑が殆どわからない
くらいに薄いことを始めて知った。
それにしても、見ず知らずの通りがかりの者に、収穫したての産物を
まるで当たり前のようにさりげなく渡される人情、暖かさを身に沁みて
感じた。今現在残っている数十粒は今度豆のカレーを作るときに一緒に
入れて思い出と共に味わうつもりである。